「…ったく。沖田君も結構人使い荒いよなぁ」
ようやく自宅までたどり着いた銀時は万年床と化した己の布団の上に荷物もとい土方を突っ込んだ。
「いくら銀さんだからってな、さすがに男一人担ぐ体力はねえんですよ。まったくもー」
ぶちぶちと文句を言いながら冷蔵庫に置かれたいちご牛乳を一気にのみ干す。土方の付き合いで自身も結構な量の酒を摂取しているのだ。おまけに普段はあまり使われない筋肉が酷使され先ほどから悲鳴をあげている。きっと明日は全身筋肉痛で大変なことになっているだろう。
「…にしても無茶な飲み方しやがって」
紙パックの口をかじりながらそっと土方の様子を伺った銀時はいまだぴくりとも動かない土方にため息をつく。
限界までいってしまった土方にどれほどの酒が入ったのか分からない。だが大して強い方ではなかったはずの彼がここまで深酒をしたのだ。何か悩みがあるのだろう。
「…そういやクマも出来てるしな…」
目をさまさないのを良いことに銀時は遠慮無く土方の頬を撫でた。言われてみれば先ほどもつまみにはほとんど手をつけていなかった。これはもう酔い潰れる目的でここまで出てきたとしか思えない。
「…んな事したらやべぇって分かってんのか?」
別に銀時は土方をそういう対象で見たことは無い。銀時自身淡白だという事もあるが何より回りのガードが固すぎてそこまで気が回らなかったというのが本音である。局長である近藤を筆頭に沖田やその他の隊士たちは過保護とも言うべき鉄壁のガードで土方を守っている。それはもうごく自然な動きで土方自身にもその自覚を持たせないほどだった。
…なのに今日見た彼は一人きりでどう見ても弱っているとしか思えなかった。しかもあの沖田の口調…普段ならなにがあろうとも土方を迎えに来るはずの彼が素性も知らない自分などに一夜を許すなど絶対にありえない事だった。
だからだろうか。依頼とはいえ素直に土方をここまで連れてきてしまったのは…
「ま、だからといって本当に手ェ出したら殺されるんだろうな」
鬼気迫る顔で刃を向けるであろう二人を想像し銀時は笑った。さすがに腕に自信のある自分でもまとめてかかられてはひとたまりも無いだろう。こと土方を守ることに関しては想像以上の力を発揮する連中だ。
「ま、ゆっくり寝てなさいよ。明日には迎えをよこしてもらうから」
どうせ他人の家の事情だ。自分が絡んで事を大きくする気はない銀時は素直に土方の上に毛布をかぶせた。
―――だが、それも一刻も経たない内に銀時は苦し気な声で覚醒させられた。
「土方?」
「っ…く…」
暗闇から聞こえたかすれ声は自室に寝かせた土方のものだ。そういえば帯も緩めずに布団に突っ込んじまったなと思い当たった銀時は寝ぼけ眼をこすりつつ部屋の扉に手をかけた。
「どうした? 寝苦しいか?」
「…は…ぁ…っ」
薄暗い枕もとの行灯の光を頼りに土方の様子を伺った銀時は眠ったままの土方がひどい寝汗をかいていることに気づく。苦し気に胸元を掴んで浅い呼吸を繰り返すその様はひどいショック症状を起こしていることを伝えていた。
「ちょ、おい! 土方!?」
慌ててその薄い肩を掴み揺さぶるがまだ土方の意識は眠ったままなのだろう、苦しげに囁かれた名はここにはいない奴の名だった。
「おい! しっかりしろ。目ぇ覚ませって!」
このまま寝かせておいてはまずいと察した銀時は手荒に土方の頬を叩いた。
「っこんの腐れマヨラー! とっとと起きろ!! 息しろっての!」
過呼吸だと分かった後の銀時の行動は早かった。すっかり縮こまってしまった土方の顔を上向かせ口移しで息を吹き込んだ。手荒に胸を押しやって再び息をさせる。何度かそれを繰り返すうちに土方の手に力が戻ってくるのが分かった。
「…よろ…や…?」
「おう。気がついたかよ酔っぱらい」
ぼんやりと焦点の合っていない目が己を認識したことに安堵して銀時は枕元にへたりこんだ。
「もー勘弁してよ。うちは病院じゃねぇっての」
「え…あ…」
銀時のらしくない態度や己の気管の痛みにあらましを理解したのだろう。土方は震える手をついて上体を起こした。
「…すまねぇ…面倒かけた」
額に浮かんだ汗をぬぐいながらそれだけを言った土方はよろよろと立ち上がった。
「悪かった。ワビはまた改めてするから」
「て…え、ちょっと」
そのまま部屋を出ようとした土方に銀時はびっくりして腕を伸ばす。
「ちょっと待てよ。おまえそんな状態で…っ!」
「っや…!」
だが、それは土方の手を取るまえに懇親の力で振り払われた。痛いと思う余裕なんてなかった。銀時は目の前でおびえた目をする土方を信じられないとばかりに見返した。
「土方?」
「っ悪…!」
自分でもその反応にびっくりしたのだろう。銀時の手を払った格好のまま顔を青ざめさせた土方は言葉もなくうつむいてしまった。
「土方…おまえ…」
「………」
そんな様子の土方に銀時は言葉を続ける事ができずに頭を掻いた。何だかんだで悟りすぎな所がある銀時は一連の反応で土方の状態を理解したらしい。気まずい空気が流れる中、とりあえずもうちょっとここにいろとだけ告げた銀時は上着を引っ掛けて外へ出た。一人残された土方がようやく動けるようになったころに戻ってきた彼が手にしていたのは暖かな湯気を立てるマグカップだった。
「まあ、その…なんだ。とにかく飲め」
いささか乱暴に突き出されたそれは薄茶色の液体だった。
おずおずと受け取って口に運んでみればほのかな甘みが口に広がる。ミルクティーだと分かったのはすっかり乾ききった喉に全てを収めた後だった。
「…どうだ。少しは落ち着いたか?」
「…ああ…」
まだいるならもらってくるけど?と続ける銀時に土方はようやく落ち着いた口調でもういいと言った。
「…おい」
「ん?」
つっけんどんにマグカップを返した土方に銀時は何だというように首をかしげた。聞かないのか?と問えば聞いてほしい?と返されて土方は苦虫を噛み潰したような表情になる。話したくは無い。だが、誰かに聞いてほしいという心中は銀時に伝わったようだ。土方の体に直接触れないように毛布をかけてやると少し離れた場所で胡座をかく。下手に慰めるわけでもないそんなしぐさが銀時らしいと思った。
「…なさけねぇ話だがな。昔ガキの頃暴漢にあった。…それ以来時々夢でうなされる」
さすがに今日ほどひどいのはそうそうないんだがな、と自虐的な笑みを浮かべた土方は枕元に置かれていたタバコを手に取って火をつけた。
「ここんとこちょっと色々あってな。…治まったと思ってたんだが」
まだ微かな震えを見せる土方に銀時は「そうか」と軽く合槌を打った。
「なぁ、その「ちょっと色々」にコレは関係してるわけ?」
「っ!」
ちょいと銀時が指さしたのは耳の後ろの一点だった。鏡がないのでそこがどういう状態になっているのかは分からないはずなのに土方は顔を真っ赤にさせてどもってしまった。
「ふうん。けっこー情熱的じゃん」
「っな、そ、それは…」
「で、どっち?」
誰ではなくどちらと問う銀時の表情はいたく意地の悪い笑みを浮かべていた。素直に答えるのも癪にさわるとばかりに黙秘を決め込もうとしたが「近藤さん?」という半ば確信した声で思わず肩が揺れてしまう。
「へえー…それでまさかキョクチョーさんに無理やり組み敷かれちゃったの?」
「っ違う! あの人は…っ」
だったらゆるせねえなぁと指を鳴らした銀時に土方は慌てて首を横に振った。
「あの人は悪くねえっ…だって…」
酒の席での戯事だったのだ…と震えた声は続けた。
「あの人は昔からスキンシップが激しかったんだ。いつもみたいに近藤さんのヤケ酒につきあっていただけだ…けど……」
気がついたら手を掴まれていた。何だと問おうとした唇は近藤のそれに塞がれてた。
「気持ちわりぃか? …けど、俺は…」
耳元で囁かれた「好きだ」という告白に確かに土方は悦んだのだ。
「なんだよ。それなら別に…」
互いが良いならさぁ…と続けた銀時だったが土方はうつむいたまま力無く首を振った。
「ここまでは平気だったんだ。でも…」
待ちわびたキスでうっとりとしていた土方の体に異変が起こったのはすぐ後だった。
「近藤さんが触った時に…「あれ」が始まったんだ」
それまではまるで夢の中にいるようだったのに、体が急にこわばった。「トシ?」と心配気に問うた近藤の顔が昔一度だけ見た男と重なったのだ。酷い痛みと屈辱感、虐げられる恐怖が体中をめぐり悲鳴をあげた。
「なさけねえよなあ。この年で泣き喚いて近藤さんを困らせたんだぜ?」
本当に人が来なくて良かったとつくづくそう思う。恐怖ですっかり縮みこんだ体を毛布越しで抱きしめ昔のように優しく頭を撫でてくれた。次の日だって土方が気にしないようにといつも通りに振る舞ってくれたのだ。
「せっかく近藤さんが気ぃきかせてくれたってのに俺はこの様だ。寝れば昔の夢を見るし追い詰めた敵にはひるんじまう。…頭冷やして来いって総悟に言われて深酒しても結局何も変わらない。…馬鹿だよな」
おそらく他の隊士たちには知られてはいないはずだ。土方のポーカーフェイスは完ぺきでありよほどの事が無い限り崩れることはない。
だが、らしくないポカを連続させる土方にさとい沖田が黙っているわけが無い。唯一近づいても大丈夫だった小さな手は手ひどく頬を殴っていった。
『いつまで過去に囚われているんですかィ』
忘れてしまいなせェ。でなけりゃあんたは一生そのままですぜィ
そう冷たく言い捨てた沖田は『だから俺にしておけば良かったんだ』と悔しそうに呟いた。
「…いっそのこと何も無かった事にすりゃ良いのか? 昔なじみとして…真選組の局長副長としていりゃぁ…」
「土方…」
「…っくしょう…なさけねぇ」
拳を握りしめる土方に手を伸ばそうとした銀時はしばし逡巡したあとおずおずと土方の肩を抱いた。ビクリと震えた薄い肩を押さえこむのではなく子が親にすがるように胸元に頬を寄せる。
「良い事教えてやろうか。誰にも言ったことの無い俺の秘密」
「え…」
銀時を押しのけようとした手が頼り無い声を聞いて動きを止める。
「俺もガキのころ天人に輪姦された。13の頃だったかな」
「銀…」
見下した目が驚きに見開かれる。合わさった色素の薄い目はそんな土方を包み込むように柔らかい笑みを形作っていた。
「一人で行くなと散々言われた山でよく分からない形状の天人に取り込まれた。…何人いたのかも覚えてねぇや。着物はがれてどこもかしこもぐっちょぐちょだったから」
「っ…」
なんでもない事のように淡々と言う銀時の手に震えを感じ土方はいたたまれずにその背を抱きしめた。自分とそう変わらないはずのそれが酷く小さく見えたのは土方の気のせいだったかもしれない。同病相憐れむ…そのままの言葉が脳裏に浮かび苦笑いがこみあげる。
「解放されたのは三日後だったかな。帰ってこねぇ俺を探してダチが一人で来てくれた。…発見されたときは血と精液でひでェ有様だったらしい」
ショックだぜェ…それが俺の初恋の相手だったんだもんよと軽くおどける銀時だが内心はまだ癒えぬ傷を負っているのだろう。言葉とは裏腹に受ける印象はひどく頼り無かった。
「それからかな。俺も他人に触られるのが怖くなって回りの奴らを避けるようになった。攘夷戦争に参加した時だって目の前の敵を全部奴らだと思って容赦無く切り刻んだ。鬼だと恐れられたのもそれが所以だったと思うよ」
そういって握りこんだ手は使いこまれた侍の腕だった。刀の柄で固められた剣タコにいくつもの死線を超えて来たのだろう消えぬ傷跡。そんな世界に身をおいても心の傷は癒えることがなかったのだ。
「他人の肌が平気になったのは戦争も終わり頃だったかな。いつまでも変われねェ俺にダチが手をさし伸ばしてくれた。奴らの手が忘れられないなら忘れさせてやるって…」
ちらつく悪夢を寄せ付けまいと明かりも落とさず触れ合った。慣れない手つきだが銀時をいたわる気持ちがひしひしと伝わる愛撫に頑なだった氷のような心が溶けていったのだ。
「なあ、上から見下したらどうよ。まだ怖いか?」
「え…? あ…」
そういわれて土方は気づく。ここまで接触していながらまだ手の震えは起きていない。
「やっぱりね。俺ん時もそうだったけど体位が変われば大丈夫だって。掴まれるのが嫌なら自分で掴まればいいし、脱がされんのが嫌なら自分で脱げばいいんじゃないの」
「っ! な、何言って…!!」
「諦めんなよ。きっと変われる」
すべてを信じこませるような説得力のある声に土方は目を瞬かせた。いつもは死んだ魚のような目と評されるそれが優しく慈愛に満ちている。そうだ、きっと出来る…身動きがとれずがんじがらめとなっていた心が軽くなるのを土方は実感した。
「相手が知ってるなら怖がることはねェよ。心底惚れたオトコだろ? ケツ毛も気にしねえおまえが小せぇこと一々気にすんなって」
「っ! おい! 一言多いんだよテメェは!」
素直に礼をいおうとしていた土方は茶々を入れる銀時を睨みつけた。すでにいつもの土方に戻った彼は乱暴に銀時を押しのけた。
「じゃあ明日は騎上位で攻めてやれば? 喜ぶよー」
「っぶ! だ、誰が!?」
それでもしっかりとしがみついた銀時の頭にごつんと鉄拳を食らわせた土方は茹でダコのように真っ赤になった。女にもてそうな面構えをしているから結構遊んでいるのかと思ったが、まだまだ中身は純らしい。本当に二人が出来上がったら思い切りからかってやろうと銀時はほくそえんだ。
「あー、後ぉ、さっき多串君にキスしたのは不可効力だから。ゴリには黙っておいてねー」
「っ、な、何言って…!」
「ついでに言うと調子に乗って舌までいれちゃったけど。今日の宿代ってことで多めに見てな」
「おまえ! んなことしやがったのかー!!」
さらに振り下される手を難なく受け止めて銀時は笑った。
不器用すぎる二人の幸せを願いながら。
本当はこのネタテニプリの桃×海+リョーマでやる予定のものでした。