雪幻華





――それから、どこをどう通ったのだろうか…。

気がつけば十四郎は多摩の田舎へ続く道をひたすら歩いていた。

あの最低な男は姉の名で散々金を借りまくったらしい。葬式が済んだ直後から押し寄せてくる借金とりから半ば逃げ出すようにして住みなれた町を離れたのだ。

腰には背に合わない刀を下げ懐には壊れたかんざし。それが十四郎の唯一の持ち物だった。日銭を稼ぐためスリやかっぱらいもした。失敗して思い切り袋叩きにあったのも一度や二度の事ではない。…それでも十四郎は歩くことを止めなかった。

…強くなるのだ。

刀の使い方さえ学べれば…強くなれる。

「…っつ…」

殴られた腹がズキリと痛み、十四郎はその場に崩れ落ちた。財布をスろうとした所を見つかりボディガードとは名ばかりのチンピラに散々殴られたのだ。

「…あーあ…。上手くいってりゃ宿に泊まれたのによ」

痛みを紛らわせるように頭上を見上げれば真っ暗な夜空から白い雪が降ってくる。段々と重くなるまぶたに危険だと思う間もなく意識は闇に溶けていった。

 

 

「…え…」

次に目をさましたのは暖かな布団の上だった。

「…ここは…」

ぼんやりと呟いた声はかすれていてやけにイガラっぽい。ヒリつく喉を押さえながらああ、これは風邪を引いたかもしれないなとどうでも良いことを考える。あんな大雪の夜に外で意識を無くしたのだ。風邪を引いて当然だと思う半面、それだけで済んでいる事が信じられなかった。

「…助け…られたのか?」

重たい頭を押さえながら上体を起こしてみれば古い和室で寝かされていたことに気づく。薄いながらも掛け布団はこれでもかと掛けられているし、枕元には医師が処方したのだろう薬包みが置いてあった。どうやら倒れていた所を誰かに拾われたらしい。

「…子供…?」

足元に感じる重みに顔を向けてみれば、布団に顔を埋めるように小さな子供が眠っていた。まだ十にもなっていないだろう、珍しい薄茶色の髪が印象的なかわいらしい子だった。

「…ん…」

自分の動きに意識を覚醒されたのだろう、子供は小さなうなり声をあげたあと大きな目を開いた。

「…あれぇ? 起きたんですかぃ?」

あくびをかみ殺しながら目じりをこすった子供は大人顔まけの巻舌で生意気な事を口にする。

「いつまでたっても目ェさまさねェもんだからキスでもしようかと思ってたとこでさぁ。起きる気力があんならとっとと目ェ覚ませってんだぃ」
「え…あの…」

まるで宗教画にでてきそうな愛らしい顔立ちにはとても似つかわしくない口の悪さに思わず目が点になる。ここまで外と中身のギャップが激しい子供など今まで見たこともなかった。

「どうしたぃ? まさか口きけねぇわけじゃねえだろぃ。俺は総悟ってんだ。あんたの名は?」
「え…と、十四郎…。土方…十四郎だ…」

子供の勢いに押され名を言うと途端ににっかりと笑みを浮かべられる。じゃ、トシ兄だなと自身満々に言い切った子供…総悟は「それじゃ近藤さん呼んでくらぁ」と言って外に飛び出してしまった。

「こんど…さん?」

ここがどこかを聞く余裕すらも与えられなかった土方は目を瞬かせながら先ほどの名を呟いた。総悟が障子を開け離したおかげで見えるようになった風景はまったく記憶に無いところだった。どうやら結構大きな日本家屋だということは分かったがここが一体どこなのか、自分を助けてくれた人物にまったく心当たりがなかったのだ。

「…道場…」

だが、風に乗ってかすかに聞こえてくる声は土方にも覚えのあるものだった。よろめく足を叱咤して何とか縁側まで這いずると庭の奥に道場らしき建物が見えた。

「ああ、こら。無理すんじゃない」

素足のまま庭の敷石に踏み出そうとしたときだった。急に背後から抱き上げられて土方は目を見張った。

「まだ熱が高いんだ。そんな薄着で外に出たらだめだろう」
「…だれ…?」

ふわりと縁側に下された十四郎は背後に立っていた男を茫然と見上げた。

…随分と背の高い男だった。肩幅のある均整の取れた体格におおらかさを表したような穏やかな目が印象的なその男は腰に先ほどの子供をぶら下げている。…おそらくこの人が「近藤」なのだろうという予想は立ったがまだ頭の回らない十四郎はどう反応して良いのか分からなかった。

「あんた…だれ? それに俺は…」

目上の者に対する言葉使いなどすっかり忘れていた。浮かんだ疑問をそのまま口に出せば「玄関前に倒れていた」と簡単かつ的確な答えが返される。

「過労だそうだ。それに栄養失調に風邪、全身打撲…一体どうしてそんな無茶をしたのか教えてほしいもんだね」

ぼんやりと近藤を見上げているとクシャリと頭を撫でられた。その親しみのある手の動きに十四郎はなんだかムズ痒い気分にさせられる。

「ああ、話は後で良いよ。腹が減っているだろう? 大したものはないが粥くらいならすぐにできるよ」
「飯…」

粥と聞いた途端十四郎の腹から盛大な音が鳴る。そういえばここ二・三日まともな飯を食っていなかった。せめて何か口に出来ていたならあんな侍崩れのチンピラに遅れを取ることはなかっただろうにと今更ながらに悔しさが募る。…まあ、どうせ動けたとしても足の速さを利用して逃げるのがせいぜいだったろうが。

「…っあ…刀!」

そこで十四郎は刀の存在を思い出した。確かに気を失うまでは持っていたはずだと蒼白になった十四郎に目の前の男は「ああ、大丈夫。安心して」と笑みを浮かべた。

「これだろう? 余計なお世話だったかもしれないが少し手入れさせてもらった。柄巻も切れかけていたから直しておいたよ。持ちやすくなったろう?」
「あ…」

震える十四郎の手に乗せられたのはなじみのある重さだった。長らくの旅のせいで埃まみれになっていたそれは綺麗に手入れが施されていた。鞘から抜いてみれば本来の姿を取り戻したかのような輝きを放っている。

「…あ…りがとう…ございます」

ぎゅっと刀を抱きしめた十四郎に男は再び大きな手で頭をなでた。少し乱暴ではあるけれど心地よいそれはどこか懐かしい感じがした。

「和泉守兼定…やっぱりそれは君のだったんだな」
「…?…」

まるで猫のように目を細め撫でられる十四郎を見ながら男は頬を緩めた。

「なあ、…トシ…で良いんだよな?」
「っ!?」

突然名を呼ばれ十四郎は飛び上がった。自分はまだ名など名乗ってはいない。…なのに何故この目の前の男が知っているのだろうか。

「誰だ…?あんた?」
「あ、ちょっと。怪しいもんじゃないから逃げるなって」

怪しいものを見るように腰を引きかけた体を慌てて掴んだ男は「ほら、勲だよ。覚えてないか?」と精悍な顔を近づけた。

「もう五年以上は前だから無理かなぁ…。俺の親父に連れられて前に一度君の家に行ったことがあるんだよ。「近藤さーん」っておまえ結構なついてくれてたのになぁ…覚えてない?」
「え…」

がっちりと掴まれた手を必死に振りほどこうと暴れていた十四郎はそれを聞いてぴたりと動きを止めた。マジマジと見上げる大きな目はまるでこぼれんばかりだ。

「コンド…さん? 士英館の?」
「そう。近藤勲だよ。親父は周作。お父さんから聞いてないかい?」

聞くも何も尋ねるところだったのだという言葉は出てこなかった。確かにそろそろ目的の場所にたどり着けるとは思っていたが、まさか本人に助けられるとは思ってもいなかった。

「…本当に…着いたんだ」
「え…トシ?」

ようやく目的地に着いたのだという実感が沸いてきて十四郎はかくりとひざを着いた。慌ててその体を支えようとする男…近藤の服にすがりついた十四郎はあふれた涙に気づきもせずに声をふり絞った。

「頼む…俺にっ…剣を教えてくれ!」

敵を…とりたいのだと告げた十四郎に、近藤は辛そうにその体を抱きしめた。













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