雪幻華





――家庭の匂い、というものはとても居心地が良いものだ。

暖かな空気、ぱたぱたと廊下を歩く音。…かすかに漂ってくるのは味噌汁の匂いだろうか…。ここ最近は定番となった朝の情景に総悟は寝ぼけ眼を開いた。

「…良い匂い」

くんくんと鼻を鳴らすと刺激された腹がぐうとなった。いつも起きる時間よりは随分早いが一度自覚した空腹感は収まりそうにない。総悟は隣で眠る近藤を起こさないよう静かに布団を抜け出した。

廊下に出ると途端に冷えた空気がまとわりついて総悟は半天の前をかき合わせた。まだ夜があけてそう時間は立っていないだろう。数多くいる門人(いや、ほとんど居候と呼んだ方が良いかもしれない)はまだ眠っているようで通り過ぎる部屋からはいびきくらいしか聞こえない。…まあ、当然だろう。昨夜だって遅くまで酒盛りをしていたようだからこんな時間に目をさましているものなどいるはずがないのだ。

…そう。ただ一人を除いては。

「…あ…」

かたん、と台所の扉を開けた総悟はそこに予想通りの人物を認めて目を瞬かせた。借り物らしいサイズの合わない着付けを羽織った細い背中は一心に何かを刻んでいた。トントンと規則正しく包丁を繰る音と暖かな空気に思わず総悟はその背に飛びついた。

「旨そうな匂いだな。何ができるんでぃ?」
「え…わ、総悟!? 急に飛びつくんじゃねぇって何度いわせんだ!」

慌てて手元の包丁を置いた十四郎はぺったりとはりついた総悟の髪を撫でる。水を使っていたのだろうか、近藤よりは随分と小さい華奢な手はひんやりと冷気を伴っていたが総悟は気持ちよさそうに目を閉じた。

「俺肉じゃがが良いでさぁ。あれ作ってくだせぇよ」

甘えるようについ最近好物となったおかずの名をあげてみれば「昨日食ったばっかだろ?」と呆れた声があがる。あまり食べる事に興味の無い総悟が自分から食べたいものを言うのは稀な事だったが、十四郎が賄い役をかって出てからというもののそれは変わりつつあった。この兄貴分である少年は例え難しいリクエストを出してもちゃんと総悟が望むようにしてくれるのだ。

「あ、にんじん! 俺これ嫌いでぃ!」
「…ばーか。そう言うと思ったよ。おまえのはこっちな?」

まな板に散ったオレンジ色に嫌そうな顔を向けた総悟だったが、十四郎は待ってましたとばかりに碗を差し出した。

「花形にしたらちゃんと食うって言ったよな?」
「っう…」

目の前に出されたニンジンはいびつながらも花形に切り抜かれていた。昨日肉じゃがに入っていたそれを残した総悟が苦しまぎれについた「約束」をしっかりと覚えていたらしい。

「栄養あるんだぞ? ニンジンは。良いから一度食ってみろって」
「うー…」

すでにそれだけで煮込まれているのだろう、柔らかそうに出来上がったニンジンを総悟に差し出した十四郎は厳しい顔で「食え」と言った。

「食ったらおやつに草団子作ってやる。きな粉とあんこ二つともだぞ」
「むう…」

さらに好物の名を出されて総悟は頬を膨らませた。ニンジンは嫌いだがそれで草団子が食えなくなるのは困るのである。だって十四郎の作る団子は絶品なのだ。柔らかいしほのかな草の匂いも食欲をそそる。おまけに甘すぎずつぶしすぎないアンコは総悟が今まで食べた中で一番の出来だったのだ。

「とりあえず一個だけ。な? ほら口あけて」

あーんとさらにニンジンを突き出されて総悟は腹を括った。確かに嫌いだが絶対に食えないという代物ではない。草団子草団子と暗示をかけて目の前の敵にかぶりついた総悟は予想外の味に茫然となった。

「甘ぇ…」

口に含んだ途端ふわりと感じたのはまるでお菓子のような甘さだった。確かに食感はニンジンだがまったく生臭くないしほろりと煮崩れる様はとてもそうだとは思えない。きっと外見を見ずに食したなら気づかずに完食していただろう。

「もう一個」

あーんと口を開けて次をねだった総悟に十四郎はホッと息をはいた。おいおい、朝ご飯のおかずが無くなっちまうよと口を尖らせるが実は結構嬉しそうだということは緩んだ頬を見れば分かる。あーあ、もっと笑えば美人なのになぁ…なんて思っているのは内緒だ。この猫のような負けず嫌いは自分の顔があまり好きではないらしい。総悟としてはむさいおっさん連中に抱きつくよりは甘い香りを放つ十四郎の方が断然良いのだが、当人は成長の遅い自分の体にコンプレックスを抱いているらしい。早く大きくなりたい、強くなりたいと一人竹刀を振る様をよく見かけた。

そういえば昨夜近藤が言っていた。十四郎の体調も良くなったようだからそろそろ本格的に教えてやるか、と。

――あの日、強くなりたいと近藤の腕の中で泣いた十四郎は姉の敵をうつ為に剣を習いたいのだという。剣は人を殺すためのものではないと散々言っていた近藤がそれを手助けするとは思えなかった。だが、困ったように笑んだ近藤は「それがトシの気を張らせている唯一のものなら断るわけにはいかねぇよ」と呟いたのだ。

自分はまだ詳しい事など分からない。だがせめて十四郎が笑えるようにと子供の武器を利用してわがままを繰り返した。

――笑っていれば良いのだ。

その綺麗な笑顔をずっと向けていて

そう。俺だけのために

忘れてしまえばいい。敵討ちの事などどうでも良くなるくらい自分をみていれば良いのだと幼い総悟は結論づけた。

それが「独占欲」というものだということに気がつくのはまだまだ先の事。

今はただ母親に甘えるようなしぐさで十四郎の腰にしがみつくのが精いっぱいだった。

 

 



十四郎は総悟のお母さんです。













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