――十四郎が「働きに出たい」と言い出したのは暖かな風の吹く4月の事だった。
いつものように出稽古から帰った近藤を出迎えた十四郎は少し言いにくそうに職のあてが出来たことを告げた。聞けば街の中でもなかなか大きな商家で算盤を扱うものらしい。確かに裕福とはいえない道場では働き手が増えることは万万歳だろう。
――だが、それを聞いた近藤はうれしがる所か、心配そうに眉根を寄せたのだった。
「働く? 何言ってるんだ。おまえはまだ14だろう?」
目の前に正座する十四郎をたしなめながら近藤は保護者として首を振った。
「絶対ダメ。金なら俺らが稼ぐからお前は心配しなくていいの」
「何でだよ。俺だって十分働けるぜ」
近藤の返事を半ば予測していたのだろう、十四郎は頬を膨らませながら睨みを入れた。
「大体この年でふらふら遊んでるなんて情け無いだろうが。寺子屋の仲間だって殆どが働きに出てる。なのに何で駄目なんだよ」
「決まってる。心配だからだ」
さも当然のように答えた近藤は「トシはべっぴんだからなぁ」とため息をついて見せる。
「知ってるか? お前と総悟は街でも有名なんだぞ? そんな子が毎日遅い時間に出歩いてみろ。誘拐されちまうって」
「んなわけねぇだろ! どこをどう解釈したらそうなるんだよ」
妙な心配をする近藤に十四郎は頭を抱える。この親馬鹿の気がある男は過保護すぎて困るのだ。まだ幼い総悟ならばともかく、三つか四つ程しか離れていない自分にすらこんな状態なのだからそりゃ街でも有名だろう。べっぴん云々ではなく近藤自身の問題として、だが。
「とにかく、もう手続きは済ませてきたから。明日から行ってくるからな。昼は永倉さんに任せてあるから残さず食うんだぞ」
「え、ちょ、トシ?」
うそ、事後承諾? と口を尖らせる近藤に十四郎はさらに眉を寄せる。どうせこの親馬鹿は首を縦に振らないだろう。だから早々に手続きを済ませてしまったのだ。そうでもしなければいつまでたっても情け無い扶養家族に甘んじてしまいそうだったから。
「なあ、近藤さん? 心配をしてくれるのは嬉しいが俺だってもう来月には15だぜ? 自分の事は自分でできる年だ」
「そりゃ、分かってるけどさ…」
まだぶうぶうと文句を言う近藤に十四郎はたしなめるように言葉を綴る。
「そりゃあんたには感謝してるよ。行き倒れた所を助けてもらったしこうして暖かな寝床を提供してもらってる。しかも学問所まで通わせてもらえるなんて思ってもみなかった。ここに来なければ俺は確実にのたれ死んでいただろうさ」
早くに親を亡くし姉と二人きりで生きてきた十四郎にとって今の生活は天国と言っていいだろう。だからこそ守られるだけではなく少しでも皆の手助けをしたいのだ。
「今までだって少しは働いたことあるし店主も良さそうな人だった。だからとにかくやらせてくれよ」
「ううむ…」
でもなぁ…と続ける近藤に土方は眉をつり上げた。
「なんだよ! 俺がそんなに頼りねぇのかよ! いつまでもガキ扱いすんじゃねぇや!」
「ちょ、トシぃ?」
いつまでも煮えきらない態度の近藤に十四郎は座布団を投げつけた。もう良いと立ちあがったその手をとっさに捕らえた近藤は己の腕の中でじたばたと暴れる体を必死に押さえつける。
「ちょ、ま、落ち着けって。トシ」
「るせぇや近藤さんの馬鹿! 頑固ジジィ!」
離せと渾身の力を込めるが鍛えられた腕はびくともしない。それがさらに気に食わなくて十四郎は手足をバタつかせた。
「なんだよ、近藤さんだってたいして年変わらねぇくせに!いつまで立っても俺はガキ扱いか! ふざけんな!」
「そんな、違うって」
弾みで十四郎の爪が頬を掠めるが近藤はけして手を離そうとはしなかった。逃げられないようにとしっかり両腕は腰をホールドし、なだめるように優しく背を撫でる。一通り暴れまくった十四郎はぜぇぜぇと息を切らしながらようやくぱたりと近藤の胸にすがりついた。
「…ったく…なんでそんなに止めるんだよ」
金が入りゃ少しは楽だろう?と恨めし気に見上げる十四郎に近藤は口を尖らせながら「だってさぁ…」とぼやいた。
「仕事に出たらおまえ帰り遅くなるだろう? したら帰ってきた時に出迎えしてもらえなくなるじゃねぇか」
俺、トシの「おかえりなさい」がないと帰ってきた気がしないんだよなー…なんて馬鹿らしい事を本気でつぶやく近藤に十四郎はめまいを起こしかけた。
「前から散々言ってるだろう? 総悟がいて、お前がいてくれれば俺は満足だって。お前たちがいるから俺は頑張れるんだ。頼むから俺の楽しみを取らないでくれよ」
「近藤さん…」
楽しみって何だよと心の中で突っ込みを入れながらも十四郎は頬が熱くなるのを自覚する。お出迎えだの俺たちの為だとか…その言い分はちょっと問題があるだろう。
「…あの…なんかそれ嫁と子供を養ってる旦那のセリフに聞こえるんだけど」
「あれ?気づいてなかった? 俺そのつもりだったんだけど」
調子に乗ってすりよってくる近藤の肩を押しのけて十四郎はざけんな、馬鹿と文句を言った。
「良いじゃん。二年後にはおまえ俺の奥さんになるんだし。子育てだってあるんだから無理して外出る事はねェって」
「ちょっとまて!? あんたいつまでそのネタ引きずるんだよ」
先月起こった珍騒動の話を持ち上げられ十四郎は眉を寄せる。父母が欲しいとねだった総悟をなだめる為につい婚姻届にサインを施してしまったのだ。どうせ一時のわがままだとタカをくくっていたのだが、総悟本人よりも近藤がネタにすることが多いのはからかう為なのか、はたまた本気で来てもらう予定にしているのか判断に迷うところである。
「俺はごめんだぜ。確かにここは居心地が良いけどあんたの嫁になる気はないからな」
「ええ? やっぱコブつきやもめはダメ?」
押しのけられながらもまじめな顔で「お嫁においでよー」と言い募る近藤ははっきり言って格好悪い。…そういえば、先月も意中の女性にこっぴどく振られていたよなぁ…なんてどうでも良い事が脳裏に浮かぶ。腕っ節は強いのにまったく女にもてないのはこの偏った愛情表現のせいではないだろうか。
「…ったくよぉ…このわがままゴリラ」
「うわ、ヒド! 俺の禁句をさらっと言った!!」
苦虫を噛み潰したような十四郎の台詞に近藤は大げさに泣きまねをして見せた。うっとおしいと思う半面仕方ねぇなあ…と思ってしまうのは結局の所十四郎だって近藤の事が嫌いじゃないからだ。口うるさいのは心配されている証拠。家族の一員だと言われ嫌なわけがない。
「…じゃあ、月水金の10時から5時まででどうだ? それならあんたの帰りに間に合うだろう」
「え…」
提示された曜日を思い返し近藤は目を瞬かせる。確かにその日ならば近藤の帰りは7時くらいになる。近くのスーパーで買い物をしたって十分間に合う時間である。
「明日店主に相談してみる。元もと早めに帰してもらえる話になってたから大丈夫だと思うぜ?」
「…トシぃー!!」
ホント良い子だなーとぐりぐり頬ずりをされて十四郎はため息をついた。甘すぎる、という事は自分でも分かってる。年端もいかない総悟ならばともかく、大人と言っても十分通用するであろう近藤を甘やかすのはどうかと思うのだがこれはもう身についてしまった習性のようなものだ。どうあがいたって直すのは無理だろう。
「分かったから離れろよ、うっとおしい」
「なんだよトシ。照れなくたって良いだろ?」
案の上キツイ言葉を投げつつもおとなしく近藤の腕の中に収まっていればうれしそうな顔に見下ろされる。まだまだかなわないのだ、腕っぷしも懐の深さも。
甘やかされるのは嫌いじゃない。
こうして手を広げ懐を差し出してくれる近藤の事は好きだし尊敬もしているのだ。
…でも、そんな感情を近藤に抱いているということは自分だけの秘密だった。
この暖かな気持ちが「友情」か、はたまた「恋情」によるものなのかを理解するには十四郎はまだまだ子供だったのである。