「夏目のハゲ、白アスパラー!!」
そう言ってニャンコ先生は二階の窓から飛び出して行った。
『KISS ME』
「おーい。ニャンコせんせー」
秋晴れの涼しい気候のなか、夏目はキョロキョロと辺りを見回しながらニャンコ先生の姿を探していた。
「まったく。どこ行っちゃったんだ?」
あの、へそまがりの飼い猫…もとい、用心棒が急に部屋を飛び出してから数時間。いつもならばどこぞで酒を喰らっているのだろうと放置している夏目も今日ばかりは心配でこうして探しにやってきたのだ。
「…なんか…泣いてるみたいだったんだよな」
出て行く瞬間の先生の顔を思い出し、夏目は眉を寄せる。
猫に見えるとはいえあれの正体は妖怪だ。本人が言う所の「高貴で優美」な斑がまさか泣くとは思えないが、ここ二、三日機嫌が悪かったことは事実だ。
「近くの妖(やつら)じゃ話になんないし…」
誰か姿を見たかと聞きまくろうとも思ったが、それ以前に自分の身が危険だという事実に気づく。名の返還を求める悪意無きものであればいいが、夏目の持つ「友人帳」は妖界のトップを狙うモノにとっては垂涎ものの品だ。用心棒がいないと知れれば好機とばかりに襲われてしまうだろう。
「…といってもなぁ…」
ごみ捨て場におかれていた三毛模様の招き猫を抱き上げながら夏目はため息をつく。このあたりは隠れる場所も多い。どれだけ探したって先生が自ら出てきてくれなければ長期戦になってしまうだろう。
「せめて夕飯までには見つかると良いんだけど…」
「やぁ、夏目。ひさしぶり」
そっと招き猫を戻した所で夏目は急に声をかけられた。やけに甘ったるい声音にBGMのように流れてくる女の子の悲鳴。顔を見ずとも正体を悟った夏目は嫌そうに振り向いた。
「ひさしぶりって…先週も会いましたよ、名取さん」
「毎日会わなきゃひさしぶりで良いんだよ。相変わらず可愛いね」
案の定、夏目の背後に立っていたのは今やテレビでおなじみの人気俳優名取だった。手にはメガネと帽子を持っているものの、何故か彼は夏目の前では素顔を曝す。近くを通りかかる女性達の熱い視線などまったく気がついていない様子だ。
「こんな所でどうしたの? 探しもの?」
「ええ…まぁ」
言葉を濁すが先程持っていた招き猫で大体を察したのだろう、名取はにゃんこちゃん?と核心を持って聞いてくる。
「めずらしいね。喧嘩でもしたの?」
「いいえ。勝手に先生が出て行ってしまったんですよ」
名取が招き猫を撫でる様子を見ていた夏目は苦笑いで答えた。名取は先生が普通の猫では無いことを知っている数少ない人間だ。妖に関してもプロなのだから、もしかしたら先生の機嫌が悪くなった理由がわかるかもしれないと、夏目は小首を傾げながら尋ねてみた。
「そうだ。名取さん。…聞いてもいいですか?」
「うん?」
「…妖って…猫嫌いとかそんな事はありますか?」
案の定名取は夏目の問いに目をしばたたかせた。
「…何? どうしたんだい、急に」
「いえ…ニャンコ先生が」
そこで夏目はここ数日の先生の事を話してみた。やけにぴりぴりしているかと思えば急に癇癪を起こすしくだらない事で絡んでくる。冷蔵庫の中の物は勝手に食うしわざと叱られたいとしか思えない行動をとってくるのだ。
原因があるとしたらその数日前に猫をあずかったくらいである。真っ白な、小さくてふわふわのまだ小さな子猫だ。だが、夏目は一度も先生がその子を構っている姿を見たことがなかった。
「俺が気づかなかっただけで、妖にも天敵とか」
「いや、まさか…それはないと思うよ」
しばらく夏目の話を聞いていた名取は何がおかしいのか、くすくすと笑っている。そうかそうか、なんて一人で頷いているところは怪しくてファンの子たちがドン引きしそうだ。
「…もしかして名取さん…先生の機嫌が悪くなった理由、わかるんですか?」
「あー、うん。十中八九…ね」
勿体ぶって聞きたい?なんて耳元で囁かれ、思わず顔を寄せる。何やら背後ですさまじい悲鳴が響き渡ったが名取の「答え」にぽかんと口を開けた夏目は…まさか、と呟いた。
「あれでも妖怪ですよ?…そんなこと」
「ありえない、とはかぎらないだろう」
だが、名取のほうは名案だと思ったのか、やけにご機嫌だ。なぁ、そうだろ柊なんて側に立つ式にまで同意を求めている。
「にゃんこちゃんを探すなら式を飛ばしてあげるよ」
そういって懐からだされたのは小さな紙片。ふうっと息を吹き掛ければ、それは瞬く間に白い鳩となって上空を飛び立った。
「俺はしばらく撮影でこの町にいるから。今度あったら詳細を教えて」
「あ、はい。それじゃあ!」
夏目の背にそう投げ掛けた名取はバイバイと手を振った。後ろを振り返った夏目は歳相応の笑顔で「ありがとうございます」と言って後を追って行った。
紙でできた鳩は案外速く、夏目は見失わないように走るのが精一杯だった。涼しい気候になったとはいえひさしぶりの全力疾走に心臓が悲鳴をあげる。だが、唯一の道しるべを無くすまいと走りつづけた。
「八つ原の森…ここか」
しばし走った所で鳩は漸く下降を始めた。辺りを見回せば何度か通った事のある道だ。木々の隙間を縫うように飛びつづける鳩を見つけ、何とか後を追う。
「…いた」
漸く探していた三毛を認め、夏目はほっと息を吐く。眠っているのだろうか。祠の裏に隠れるように俯せた背は小さく丸められたままだ。そのどこか淋しそうな背を見つめた夏目は堪らずに駆け出した。
「ニャンコ先生!」
先生の肩がビクリと動き、自然に体が逃げを打とうとする。そのまま走りだそうとする柔らかい体を抱きしめて夏目は「いくな!」と叫んでいた。
「ごめんな、ニャンコ先生。謝るからにげないでくれよ」
「なな、夏目?」
いつもは凶器となる手で優しく先生の背を撫でる。見上げる先生の目は真ん丸だ。
「どうした。叱りに来たんじゃないのか」
「…うん。最初はそのつもりだったけどね」
すっかり大人しくなってしまった先生を抱えながら夏目はその場に座り込んだ。膝の上にジャストフィットする丸さと重さに、そういえばここしばらくご無沙汰だった事を思い出す。
「ごめんな。白ばかり構って淋しかったんだろ」
「な、なんだと! 馬鹿言うな!」
途端に顔を真っ赤にさせるが逃げない所をみると図星だったのだろう。もう一度ごめんと謝れば先生は鼻面を夏目にすりよせて「もういい」と呟いた。
「どうせあれも明日には帰るのだろう。親と離されて寂しいのだ。構ってやれ」
「ああ、先生もな」
そういって夏目は先生を持ち上げるとふくふくとしたほっぺにキスをした。途端に目を見開いた先生は慌てて「はしたないぞ、夏目!」なんて叫んでいる。
「帰ろうか、先生。七辻屋の饅頭買ってやるよ」
短い手足で暴れている先生を抱えたまま夏目は笑った。見れば周囲には何事かと様子を見に来た妖怪たちが集まっている。興味しんしんといった顔や夏目達を認めて手を振りかえしてくるモノ、一口に「妖怪」といっても考えることは人となんら変わらないのだろう。
『妖怪だって感情はある。君を取られて淋しかったのさ』
先程、名取に耳打ちされた事を思い出し夏目はもう一度先生の背を撫でた。
「白は塔子さんにお願いするから。今日は一緒に寝ような」
布団も干したてだぞと続けた夏目は先生を抱えたまま立ち上がった。
子育てって難しい…そんな事を思いながら。
ニャンコ徒然帳の先生はやきもちやきでした。