ボディ・ガード




秋晴れの11月のこと。のどかな田園風景がつづくこの学校では、文化祭が執り行われていた。
いち高校の催し物とはいえ村に建つ唯一の高校だ。規模は小さいながらも地域住民までもが参加して辺りは祭一色に染まっている。

―――そんな中、ひとつのクラスでは先程から異様な熱気に包まれていた。

「西村ー。オーダー」

そういって憮然としたまま紙を出したのはさらさらの長い髪を背中に流したメイドさんだ。色の白い小作りな顔立ちに色素の薄い瞳が印象的な絶世の『美少女』である。

「ねぇ、そこの可愛こちゃーん。俺達も注文!」
「あ、こっちもこっちも」

だが、周囲からそんな声が飛んでくると、途端に美少女の額に青筋が浮かぶ。

「な、夏目。おちつけって」
「っうるさいな。おちついてるよ」

そんな様子を伺っていた西村は慌てて美少女…もとい、夏目の肩を押さえた。先程から男女問わず噂を聞き付けて夏目を見に来る観客の多いこと、多いこと…。おかげでこの『メイド喫茶』は学校創立以来の売り上げを更新中だ。

「人気者だねぇ、貴子チャン」
「っ! 誰が貴子だ!」

ため息まじりにそういえば、まつげばさばさの目でぎっと睨まれる。いくら凄んで見せたってピンクの頬に濡れたような唇では迫力半減だ。

「ふざけたこと言ってないでとっとと手を動かせよ。カレーとナポリタン催促かかってるぞ」
「いま北本が買い出しに走ってる。もうストック空よ、カラ」

今朝からの盛況ぶりでもうナポリタンどころかジュース一個すら出せない状態なのだ。品切れを理由に一時店を閉めようとしたのだが、やけに鼻息の荒い一部男子によって続行を強要された。今も部屋の中にたむろっているのはむさ苦しい男連中がほとんどだ。

「…夏目ぇ。危険だからしばらくお前一人になるなよ」
「は? 何でだよ」

熱視線の元に曝されているはずの当人は全くそれに気づいていないらしい。少し小首を傾げるしぐさや上目使いで見上げる表情などが男心をくすぐります…なんて本人に向かって言えるわけがない。いざとなったら身をていしてでも守ってやらねばと友人代表は心に誓った。

「はあ。あともうすこしで交代か。やっと休めるな」

時計をみればもう交代の時間だ。朝からずっと動き通しだった体をうんと伸ばすと、途端に背骨がバキバキと鳴った。

「北本が帰ってきたら校内回るか? …もちろん、それとるよな」

文化祭は二日つづくため、時間によってローテーションが組まれている。夏目も西村も本日の仕事はこれで終わりのはずだ。早く元の姿に戻してやらなければ精神衛生上とてもよろしくない。

「当然だろ。さっきからあちこち蒸れて痒いんだ。とっとと着替えたいよ」

なのに当の美少女は観客の目の前でスカートを捲りあげようとする始末だ。本人はちょっとストッキングを直そうとしたのだろうが、隠されていたひざがちらりと見えただけでクラス中に雄叫びが響き渡る。

「なんだなんだぁ? すげぇな」
「あ、北本。おかえり」

そこに大きな段ボールを抱えた北本が目を丸くしながら入ってきた。

「相変わらず盛況だな。これじゃ又すぐに食材無くなるぜ」
「ああ、大丈夫だろ。もう夏目のシフト終わるし」

荷物を受け取った西村は手早くクーラーボックスに食材を詰め込んで行く。今注文されている分を作ってしまえば自分の仕事は終りだ。交代のウエイトレスは来ているのだから先に夏目を交代させて元の姿に戻してしまえば良い。

「ああ、そうだ。夏目」

先に着替えろと言いかけた所で北本が今思い出したと言わんばかりに手を叩いた。

「さっき校内でさ、夏目を探してる奴がいたから連れて来たんだ。前の学校の友達か?」
「え?…っ!」

北本の視線につられ教室の扉を見た夏目は思わず悲鳴を上げそうになった。…そこにいたのは気の弱そうな私服の男。明らかに憑依されているとわかるその目は夏目の姿を認め、くわ、と見開かれた。

「見つけたぞ、レイコー!」

途端に溢れ出てきたのは妖・妖・妖のオンパレード。急激に膨れ上がる悪意に夏目の背が総毛立つ。いけない。このままではーーー。

「っ! おい、夏目!?」

背後で女生徒たちの悲鳴が聞こえる。制止しようとする手をすり抜けて夏目は迷わず窓枠に手をかけた。

「ば、ここ、二階ー…」

ふわりと身を乗り出して夏目は飛んだ。瞬間自分がスカートだったことを思い出し裾を押さえるというなんとも情けない恰好になったが、綺麗に地面へと着地する。

「ごめん、先休憩入るから」

唖然と見送るクラスメートにそう言い残した夏目は全速力で走った。背後からは相変わらずざわざわとした妖の気配。あの憑依された男が妖たちを大量にくっつけたまま後を追い掛けてきているのだ。

「まてー、レイコー!」
「ったく、しつこいな。俺はレイコさんじゃないってば」

思わず怒鳴り付けるものの、妖怪たちは聞く耳も持ちはしない。急に始まった追いかけっこに周囲もただ見守るだけだ。

「ったく…こんなときに先生はどこに行ったんだよ…」

いつもは夏目の危機を察知してどこからともなく現れてくれるのだ。…だが、これだけの妖気を撒き散らしているというのに用心棒の姿は現れない。ということはどこかで食べ物のニオイに釣られているとしか思えない。

「ええい! 役にたたないな」

動きにくいスカートを捲り上げながら夏目は走った。ともかく人気のない所まで奴を誘導しなければ。せっかく皆が文化祭を楽しんでいるのだからぶち壊すわけにはいかないのだ。

「っ!」
「っうわ!」

背後を気にしつつ角を曲がろうとしたら急に衝撃が走った。人と正面衝突したのだと気づいたのは相手が自らの体をクッションがわりにして倒れてからだった。

「ご、ごめ…」

慌てて顔を上げた夏目はその相手を見て目を見開いた。

「っ田沼!」
「え、その声…て…夏目!?」

己の下敷きになっていたのは田沼だった。思わず名を呼んだ夏目に田沼もその正体に気づいたのだろう、目を丸くしたまま頓狂な声をあげる。

「一体どうしたんだ、そんな恰好で…っ!」
「あ、いや…ちょっと」

相手が夏目とはいえメイドに押し倒された恰好になった田沼は顔を真っ赤にさせて口ごもった。いつもは取り乱した様子を見せない彼がここまで慌てている姿を見るのは珍しいことだ。

「ホントごめん、頭大丈夫だったか?」

上体を起こした田沼の頭を、夏目は心配そうに撫でさすった。自分は庇ってもらったが、田沼は完全に無防備な状態で倒れたはずだ。下は柔らかな地面とはいえコブくらいはできてしまったかもしれない。

見上げる夏目の前で田沼の顔はどんどん赤くなっていく。触れた額も熱をもっており、動悸が激しくなってくるにしたがって夏目は不安になった。もしかしたら打ち所が悪かったのかもしれない。

「痛いか? 医務室で大丈夫かな」
「あ、いや。平気だから」

なおも心配気に触れる夏目の手をそっと外した田沼は「それよりも」とつぶやいて夏目の姿をまじまじと見遣った。

「もしかしてメイド喫茶の美少女って夏目のことだったのか? うちのクラスで有名になってるぞ」
「だれが美少女だ!」

逆鱗に触れられ夏目の額に青筋が浮かぶ。

「ウケ狙いで女装させられたんだよ。気色悪いのは分かってる」

いや、だから似合ってるんだって…などと続けることはできなかった。途端に背筋を襲う悪寒に田沼は肩を震わせた。

「…なんだ?」
「っまずい!」

辺りを見回した田沼の視界に一人の男が入ってくる。その周囲がやけに曇ってるなと思うのもつかの間、夏目の手に引かれて全力疾走させられた。

「おい、夏目?」
「逃げるぞ!」

いくら低級とはいえ妖は妖だ。ただでさえ当てられやすい田沼にあんな集団を合わせるわけにはいかないだろう。訳がわからないなりに歩調を合わせてくれる田沼を伴って夏目は校内をひた走る。

「なぁ、夏目? さっきからあいつレイコレイコ言ってるみたいだけど」

さすがに少し息が切れはじめた頃、田沼がおずおずと問い掛けてきた。

「もしかして誰かと間違えられてるのか?」

確かに人間違いはされている。…だが、何故今なのだろう。いつもだってレイコと呼ばれることは多かったのだ。いまさらスカートを穿いただけでこんなにしつこく追い掛けられるなんておかしすぎる。

「なぁ…田沼。俺、女に見える?」
「はぁ? …う、ま、まあ」

横目で見つめられ田沼は顔を真っ赤にさせる。否定しない所をみるとやはりそうなのだろう。付けさせられたカツラもよく見れば祖母レイコの髪型によく似ている。だからだろうか、妖共がしつこいのは。

「っ危ない!」

切羽詰まった田沼の声に、はっと顔をあげる。力強く手を引かれた夏目は広い胸に抱き込まれた。見れば長い鉤爪を持った妖がすぐ背後まで迫って来ていた。

「たぬ…」
『…っ来るな!』

ぎゅっと抱きしめられながら聞いた田沼の声。凜としたそれは空気を震わせ刃となった。

「…え…」

恐る恐る顔をあげれば、勝ち誇った笑みを浮かべていたはずの妖が地面に転がり目を回している。

「いまのうちだ。早く!」

何がおきたのかわからない夏目の手をひいて、田沼は再び走り出した。

「…た、田沼…いまの…」

走りにくいスカートの裾をたくし上げながら、夏目は後ろを振り返った。二人を襲おうとしていた妖は今だ床で伸びている。妖怪は妖怪同士、または力のある人間でなければ倒すことなどできなかったはずだ。なのに何故田沼がここまで出来るのだろうか。

「術…だよな? いつのまに」
「いや、違うよ」

…だが、夏目の問いに田沼は笑って否定した。

「残念だけど。これのおかげ」

そういって学ランの下から引っ張り出してきたのは手づくりと思われるお守りだった。

「父さんに持たされてるんだ。魔よけの効果があるんだって」

確かに見ればただならぬ雰囲気を醸し出すものだ。あの法力の強い田沼の父があてられやすい息子を案じ渡したのだろう。そんじょそこらのお守りとは明らかに出来が違う。

「もらったときは正直邪魔だとおもったけど…役に立ってよかったよ」

再び大事そうに懐にしまった田沼は、しばし思案すると夏目に向かい手を伸ばした。

「手…貸して」
「え…」

きょとんと目を瞬かせた夏目の手を取った田沼は息の上がった小柄な体を引くようにスピードを上げた。どこにそんな余力を隠し持っていたのだろう、ぐんぐんと距離を広げ、妖怪の姿はあっという間に小さくなった。

「いつかは…」
「え?」

「いつかは…逃げるだけじゃなくて…俺の力で夏目を護るから」

照れ臭そうに頬を染めた田沼は繋いでいた手に力をこめてそう呟いた。

 

―――そして、なんとか逃げ切った二人は屋上で丸くなっていた先生を発見し妖怪たちを撃退するのに成功した。

やっとの思いでクラスに帰れば心配気なクラスメイトたちに出迎えられた。どうやら血迷った男子生徒にせまられたという大変不名誉な噂をつけられてしまったらしい。田沼と二人手に手をとって校内中を走り回っていた姿は幾人もの生徒が目撃しており、姫を守り切った騎士として、田沼がしばらく女生徒の人気を有したのは言うまでもない。

もちろん、妖怪を撃退してくれた先生にもご褒美は必要だった。

返したはずのメイド服とカツラを再び着せられて、足がしびれるまで膝抱っこを強要させられたのである。

 


 



高校生といえば文化祭で。女装ネタで申し訳ありません。
レイコさんそっくりになって近隣の妖怪たちに追いかけまわされる夏目さんが書きたかったのです。







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