家族の象徴


「おや、貴志はどうした?」

残業を終え、ようやく帰路へとついた滋は姿の見せない養い子の名を口にした。

「そろそろ始まるぞ。今日は見ないのか?」

茶の間のテレビではいつも滋と夏目が楽しみにしているドラマが始まろうとしていた。普段あまりテレビを見ない二人が揃って楽しみにしている数少ない番組だ。忘れているのかと声をかけるが、塔子は笑って違いますよと言って来客の存在を伝えた。

「きょうは田沼くんが泊まりに来ているんですよ」
「…ああ、そうか」

そういえば数日前にそんな話しをしていたと思い出す。夏目がここに引き取られてから初めて家に連れて来たクラスメイト。同じ転入生という境遇からか、今ではすっかり仲の良い友人同士になっているらしい。先日は夏目が田沼の家に泊まりに行き、檀家さんからもらったという菓子を大量に持ち帰ってきたのだ。

「あの子にもようやく『親友』ができたか」

あの夏目に似つかわしいおとなびた少年の顔を思い出し、滋は頬を緩ませる。いままでの夏目はどこか畏まっていて他人行儀な面があった。もの心ついた頃から他人の家を渡り歩いてきたのだ。甘え方を知らず、自我を押さえることで「いい子」を演じてきたのだろう。

その彼が、ようやく自分で選び取った『親友』。少し話しをした事があるが、なかなかよく出来た少年だ。その父である田沼氏も村人からはずいぶんと慕われている。少し心配性な所のある滋も、田沼ならば安心して夏目を任せておけるだろう。

「…だが、ちょっと寂しいな」

やがて始まった画面に目をやりながら、滋はぽつりとこぼした。

目の前で流れているのはいつも夏目と見ていたドラマだ。互いに口数が多い訳ではないから話が弾むわけではなかった。だが次の展開や謎を推理し合うのは楽しかった。

「子供はいつか親離れをしなければならないのはわかっているけどね。…もうすこし、側にいてほしいものだね」

世の親バカと同じことを考えているのかと思うと笑わずにはいられない。だが、まだまだ滋と夏目の「親子歴」は短いのだ。手元に置いておきたいと思うのも無理はないだろう。

そんな子供っぽい滋を笑うわけでもなく、優しい微笑を浮かべた塔子は茶を差し出しながら「私もですよ」と同意する。

「私もね、同じ意見です。…なんだか貴志くんを取られちゃったみたいで淋しいわ」

そう言って塔子は天井を仰ぎ見た。小学生のお泊りではないから古い家屋といっても静かなものだ。これでプロレスごっこや枕投げを始めたら心置きなく叱りにいけるのに、と塔子は笑った。

「ねぇ、あなた」

くすくすと笑っていた塔子は、空になった滋の湯飲みに気づき茶を注入れた。

「私は、あのこの「お母さん」になれているかしら」

ひっそりと囁かれた不安にかられた塔子の声。もの心つくまえに夏目の父母はなくなったと聞いている。おそらく夏目の記憶には父母の姿はないだろう。

「教えてあげたいわ。いろんな事。いっぱい」

いままで子がなかったことに全く寂しさを感じなかったといえば嘘になる。幸せだと思いながらも心の中では二人きりの時間が長く感じた事もある。だから遠い親戚筋から頼まれた保護氏の話に二つ返事で答えたのだろう。

「最初はちょっと不安だったけど。貴志くんは本当にいい子だわ」

初めて駅で出迎えた夏目の事を思い出す。礼儀正しいが、どこか周りに膜をはって側に近づかせようとしない印象を与えた子供。そんな子供が愛しくて塔子は精一杯抱きしめた。

「実はね。ご近所でお話するときは「うちの子」って呼んでるの。息子さんって言われるのがとても嬉しいのよ」

夏目は学校でもとても人気があるらしい。試験では常に上位とか、ファンクラブが結成されているなどという話は夏目本人からは聞く事の出来ない貴重な情報だ。

「だからかしらね。田沼くんが来るようになって嬉しい半面…貴志くんをとられてしまったようで淋しいのよ。」

最初は手に触れるだけで緊張していた夏目が、次第に笑顔を見せるようになった。甘えてほしいというこちらの思いが伝わったのか、少しずつではあるが自分の意見を言うようになってきたのだ。戸惑いながらも甘えてくれようとする夏目が本当に愛しくてたまらない。

「そうね。この思いは…まるで娘を嫁にだした母親の気分」

夏目が聞いたら複雑な顔をしそうな事を言って塔子は笑う。

「だから嬉しい半面淋しくて堪らないのよ。滋さんもそうでしょう?」

田沼くんがお泊りに来るときは少し不機嫌になるもの、と断言され滋は笑うしかできない。

「…まいったね。本当にそのとおりだ」

確かに塔子の言うとおりだ。田沼なら安心だとは思うものの、心の中では自分たちが守ってやりたいと思ってしまう。

「明日は土曜日か」

カレンダーを見れば、明日は学校も会社も休みの日だ。それを確認した滋は立ち上がって台所へと足を向けた。

「あなた?」
「…少しなら、良いだろう?」

程なくして戻ってきた滋の手元を見て塔子は目を瞬かせる。多少のつまみと共に持ち出しているのは滋お気に入りのお酒だった。

「田沼くんはけっこうイケる口だったからな」

先日夏目の誕生日にもこうして酒を持ち出した。高校生に…と眉を寄せる保護者もいるが、滋自身もそう言われながら大人たちに飲まされて大きくなったのだ。会話をつなげる潤滑油程度なら許してほしい…。言葉少なにそう告げると塔子も仕方がないわね、とばかりに微笑んだ。

「そうね。呼んじゃいましょう。四人で飲んで、テレビを見て…もっと話しをしましょう」

きっと田沼がいればいつもとは違う夏目が見れるだろう。…その逆も同じだ。

「ふふ…田沼くんのこと、いじめないでくださいね」
「ん? どうかなぁ」

なんせ娘婿だからねぇとつぶやく滋の口調は楽しげだ。軋む階段を上り滋は夏目の部屋の扉をたたいた。

ーーもう少しだけ、自分達の腕の中にいなさいと願いをこめて。



藤原家&田沼さん。誕生日の話の後ということで。
田沼さん・・・認めてもらっていますが微妙です(苦笑)
田夏というよりもむしろ夏目争奪戦ですね。









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